箱根へついた。雨は相変わらず冷たく降って、やむ気配はなかった。ホテルが経営する喫茶店に入ると僕はいつものように馬鹿話をした。亡くした恋人のことを忘れることが最善とも、忘れないことが最善とも思えなかったから、思い出を整理できない友人にいつものように自分の馬鹿な話をした。窓から見える芦ノ湖には雨なのに遊覧船が走っていて、となりのテーブルにはどこぞの業界の話を云々するマダムたちがいた。僕はなぜだか、昔母親と入った喫茶店で頼んだパフェを思い出した。寂びれた喫茶店で頼んだそのパフェの器の淵には干からびたゴキブリの子供の残骸がついていた。淵を気にしながら食べたパフェはただひたすら甘かったが、当時、1円単位で家計を切り盛りする母がせっかく食べさせてくれたのだからと。母のために残さず食べた。
ここと、そことは違っていた。そして僕と友人も。
キャラメルマキアートと一緒に注文したケーキは安かったが、キャラメルマキアートはケーキの3.5倍の値段がした。
多く青を含んだねずみ色に箱根が包まれるころ、帰途についた。
山道はすっかり暗く、冷たい雨のせいで曇ったフロントガラスに何度も僕らはひやひやした。風をあてても、ガラスは晴れなかった。なのに、友人はスピードを上げ飛ばした。整理しきれない恋人の断片を振り切るように。大きな雨粒がフロントガラスにあたる度に、恋人の小さな透明の体が鈍い音をたてて弾けていくようだった。僕は曇って消えないガラスの跡を眺めながら、思った。
問題なのは、雨や寒さや片付けの上手下手ではない。この磨ききれていないフロントガラスなのだ、と。